6月17日(金)枚方市立禁野小学校の由来や校区の自然・歴史・文化につい
- 公開日
- 2022/06/17
- 更新日
- 2022/06/17
学校の様子
「禁野」という地名は、平安時代に皇室専用の狩猟場としての禁猟地が一帯に置かれたことに由来します。禁野には鎌倉時代から室町時代にかけて淀川を通行する船舶から関料を徴収する関所が設けられ、淀・渡辺・神崎・兵庫とともに「河上五ヵ関」とも称されました。
また、1896年に旧陸軍禁野火薬庫が設置され、1939年3月1日、天地を揺るがす爆発が約4時間、29回にわたって繰り返され、死傷者約700人、全半壊した家屋約821戸に及ぶ大惨事となりました。枚方市は、大爆発が発生した日から50年後、そして、1954年3月1日に第五福竜丸がビキニ環礁で、アメリカ軍が行った水爆実験に遭遇し、被爆した日から35年後の1989年に、二つの大惨事を風化させず、市民一人ひとりが平和の大切さと平和への貢献について考える日として3月1日を「枚方市平和の日」に制定しました。1991年には、禁野火薬庫等から砲弾を運んだ軍用鉄道敷を「中宮平和ロード」として整備しました。また、中宮団地内には火薬庫の延焼を防ぐための土塁が今も残っています。
学校は枚方市西部の禁野台上に位置し、淀川・高槻方面を臨む風光明媚な環境に包まれており、近隣には渚の院や百済寺跡などの史跡名勝が多数存在します。
(旧中宮北小学校ブログより)