【10日月曜 児童集会 校長あいさつ 大地震のお話】
- 公開日
- 2024/06/11
- 更新日
- 2024/06/11
校長のおはなし
多くの先生には実感がないと思われるので校長から話をしてほしい
とのことで、かなり長くなってしまったのですが、
ここで話をすることにしました。全文掲載です。
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6月の児童集会は、地震の話をしますね。なぜかというと、
皆さんはまだ小さくて覚えていないかもしれないけれど、
6年前の6月、大阪で大きな地震があったからです。
その地震で、多くの家が壊れ、6人の方が亡くなりました。
そのうち一人は、小学4年生でした。朝8時に地震が起きたから、
学校に行く途中でした。
学校の塀が壊れて、下敷きになって亡くなりました。
地震は珍しいことじゃなく、これまで何度も何度も起こっている。
だから、今日は大地震があった時に、どうやって
みんなが一緒に生き残るのか、という話をしたいと思います。
今年のお正月、石川県の能登半島で大きな地震が起きましたね。
亡くなった人は200人以上、多くの家が壊れました。
5カ月経って、まだ水や電気が通っていないところがあって、
未だ多くの人が避難生活をしています。
体育館に今500人以上いるね。この体育館のような避難所にいる人が、
1600人以上いると聞いています。
古い話だけれど、校長先生が体験した中で一番大きな地震の話をします。
阪神淡路大震災。。。 神戸、西宮、芦屋などが特にひどかった。
ちょうど30年ほど前で、先生がまだ随分と若かった頃。
でもはっきりと覚えています。
起こったのは、朝の5時46分。眠っていたらごおおお〜という音がして
なにかおかしいなと寝ぼけていたら、突然激しい揺れがあって、
これで死ぬかもと思いながら、ベッドにしがみついているだけで
何もできなかった。家具がバタバタ倒れて、テレビがぶっとびそうになって。
揺れがおさまって、なんとか会社に行こうとしたけれど、
電話も通じないし、電車も動いていない。テレビをつけると、
高速道路がずーっと倒れていて、、、
先生が住んでいた家は、住めなくなりました。
この地震で6000人以上亡くなっています。
地震で亡くなる人も多かったけれど、火事が多かった。
家が潰れて、下敷きになっている人が多い。
まだ生きているのかもしれないのに、
そこに火事の火が襲ってきました。大変な悲劇です。
大阪の近くで起こった地震だから、
家族、親戚、知り合いが亡くなったという人が多かった。
13年前、東北、東日本で起こった大地震。
東日本大震災は、知っていると思います。
死者行方不明者合わせて2万2千人。
これは津波で流されて、溺れて亡くなった人が多かった。
8年前は九州の熊本 五十人がなくなった。
6年前の6月18日 大阪北部、まさにこの枚方で起こった大きな地震。
そして話は元に戻るけれど、「今年」のお正月、
石川県の能登で大きな地震が起こりました。
お正月で、みんな集まって楽しい気持ちでいるところだったのにね。
毎年のようにどこかで大きな地震が起きています。
地震は時と場所を選んでくれません。
残念なことだけれども、地震が起こることを防ぐことはできません。
大きな地震が、この大阪で、枚方で、いつ起きてもおかしくない。
起きれば、たくさん人が亡くなったり、家族を失ったり、
住む家がなくなったりします。
しかも、すぐに助けは来ない。
6000人がなくなった、30年前の阪神淡路大震災では、
救助隊から助けてもらった人は、わずか2パーセントしかいない。
先生たちは、みんなが無事であるように全力を尽くすけれど、
まずは、自分で自分の身を守ること、
自分たちが助け合うことで、生き残るしかない。
生き残るために、準備をすることが大事なんです。
1月前、5月11日 土曜授業で、地震避難訓練をしましたね。
訓練を真面目にしっかり頑張ろうと先生たちが言っているのは、
そういう意味なんです。
今日、お家で話をしてください。
お家で、もしも地震が起こった時にどうするか決めておく。
水や食べ物を最低3日、できれば1週間分、お家においておく。
今日お家に帰ったら、校長先生が地震の話をしたよと、話してください。
今日は、真面目に聞いてくれてありがとう。