最新更新日:2024/06/21
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『夢と志を持ち、可能性に挑戦する“枚方のこども”の育成』〜子どもたちの未来への可能性を最大限に伸ばす枚方の教育〜

第3回 教頭会

6月13日第3回教頭会を開催しました。

はじめに、今年度から実施した児童生徒課の指導主事と教頭先生方とのWEB面談で、各学校がいじめ・不登校対策において子どもに寄り添った丁寧な対応をされていることがわかりました。
その中でも、これはという好事例を各学校とも情報を共有し、教育の質の向上に繋げて参ります。

もう一つは、みんなが気持ちよく仕事ができるようにと、憧れの上司になるためのワンポイント講話をしました。


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市駅前図書館やまるっと子どもセンター開設予定場所の視察

6月10日11時から、教育委員さんたちは、マルサン街区において再編する施設のうち、市駅前図書館(5階)、まるっとこどもセンター(こども家庭センター:6階)などが開設されるスペースを見学されました。

本日の視察で、ICTを活用し利便性が高く居心地の良い図書館となっていることや、

妊産婦や子育て世帯の皆さんが安心して利用頂ける施設になっていることもわかりました。
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校長の目標設定面談について

5月23日から始まった校長の目標設定面談が、先日6月6日に無事終了しました。

今年からは紙ベースではなく、ICTを活用したプレゼンを行なって頂いたお陰で、説明の精度がぐんと上がり、校長先生の思いがヒシヒシと伝わってきました。

先生方の頑張りに対して、市教委も伴走型の学校支援をしっかり行って参ります。
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第3回 校長会(2)

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最後に、昔のテレビドラマ『女王の教室』を観ながら、とても印象的だった場面を紹介します。

「どうして勉強しなきゃいけないんですか?どうして勉強するんですか、私達?」と生徒が先生に訊きます。


阿久津先生役の天海祐希さんは
「この前先生は言いましたよね。いくら勉強して良い大学や良い会社に入ったって、そんなの何の意味もないって。」

「じゃあどうして勉強しなきゃいけないんですか?」

「いい加減目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?
勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。
したいと思うものです。
これからあなた達は、知らないものや理解できないものに沢山出会います。
美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。

そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。
好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。
猿以下です。

自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り分からないことはいっぱいあります。
世の中には、何でも知ったような顔した大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。
良い大学に入ろうが、良い会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えばいくらでもできるんです。

好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。
勉強は、受験のためにするのではありません。
立派な大人になるためにするんです。」と・・・

この一連のセリフは、私たちがどのようにして学び続けるべきかをかを示唆しています。

学びの本質は、単なる知識の習得にとどまりません。
抑えようと思っても抑えられないほどの好奇心や探求心が、人間を人間たらしめているのだと気づかせてくれます。

勉強はしなきゃいけないものではなく、したいと思うものであり、
人として、内面を豊かにしていくことそのものだと子どもたちに感じてもらうには、どんな授業づくりをすればいいのでしょうか。

これからも、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

第3回 校長会(1)

校長先生方、こんにちは

(はじめに)

文化庁次長の合田哲雄さんは、日本教育新聞のコラムの中で教育を「ゆとりか詰め込みか」、「探求か習得か」、「異端か正統か」「流行か不易か」の2項対立に終始するのはもったいないとしたうえで、こうした分断を最小化するには、不確実さや複雑さの中で他者と対話しながら考え続けることが大切であると説かれています。

スライドでもお示しましたように、系統主義か経験主義かの問いに対する解は、両極にはありません。
2項対立を越えた対話の深化が、納得解、つまり中庸(ちゅうよう)の形成に不可欠だと、合田さんは論じています。


因みに、古代ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384〜紀元前322)は、「中庸」を「人間の徳」として論じています。
彼が中庸を徳として位置付けたのには理由があります。

当時人々は、ポリスと呼ばれる都市国家で共同生活を送っていました。狭い都市国家の中では、互いに協力しあうことで初めて生活が成り立っていました。言い換えると、極端な行動に出ないことが求められたのです。

それ故、中庸は徳とされていたのです。

この場合、行動が偏りすぎるのはダメで、両極端の中間こそが中庸とされており、
例えば「臆病」と「無謀」の間の適切な状態、それは「勇敢」となります。

同じく「無感覚」と「放埓(ほうらつ)」の中間は「節制」、
「追従(ついしょう)」と「無愛想(ぶあいそう)」の中間は「好意」、
「卑下」と「自慢」の中間は「誠実」となります。

ほどほどの感覚を掴むのは大変ですが、合田さんの言われるように、学校経営においても、2項対立を越えて最適解である「中庸」を形成するには「対話」が必要不可欠だと感じています。

ここからは自戒を込めて申し上げますが、トップダウンだけでは学校経営は難しい時代になっています。

それでは、ボトムアップだけで学校経営は成り立つのでしょうか?
「トップダウン」か「ボトムアップ」か?

この2項対立においても、校長は学校経営ビジョンや教育哲学は教職員にしっかり伝え、方法論については教職員の意見を掬(すく)い取りながら、「対話」や「熟議」でもって最適解を創造することが求められているように思います。

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