淀川の今と昔
- 公開日
- 2025/10/31
- 更新日
- 2025/10/31
4年生
昔の淀川は「暴れん坊」だったって知ってる?
昔の淀川は、今よりもっと曲がりくねって(蛇行と言います)、川の中に浅瀬がたくさんあって、おまけにしょっちゅう大洪水を起こす「暴れん坊」な川でした。
特に、大阪平野 ができるまでは、川から運ばれてきた土砂が堆積してできた湿地帯が広がっていて、水害が大きな悩みでした。
淀川の形を変えた「2つの大きな理由」
淀川の形が大きく変わったのは、主に治水(ちすい:洪水を防ぐこと)と利水(りすい:水を役立てること)のため、人間が行った工事によるものです。
1. 洪水を防ぐための「大改造」
淀川の改修の歴史は古いですが、特に明治時代以降、近代的な技術を使った大きな工事が行われました。
- 新しい淀川の誕生! - 洪水の時に水が大阪市内に流れ込むのを防ぐため、明治時代に「新淀川」というまっすぐな新しい川筋が掘られました。これによって、大阪市内の旧淀川(大川など)に流れ込む水量を調節できるようになりました。 
 
- 川を「まっすぐ」に! - 曲がりくねった川は水が流れにくく、洪水になりやすいんです。だから、川の流れを速くして洪水を防ぐために、昔の曲がった川筋をまっすぐな形に変える工事がたくさん行われました。 
 
2. 人々の生活や交通を助けるため
- 水を「分ける」工夫(分流) - 昔から、淀川の水を農業などに役立てるために、途中で水を他の川へ流す工夫(分流)もされてきました。 
 
- 舟の通り道を確保! - 江戸時代など、淀川は京都と大阪を結ぶ大切な交通路 でした。船が安全に通れるように、川底に溜まった土砂を取り除いたり(浚渫:しゅんせつ)、水量を調節する施設(閘門:こうもん)が作られたりしました。 
 
淀川の形が変わったのは、人々の生活を洪水から守り、より便利にするために、人間が長い時間をかけて一生懸命工事をしてきたことを学びました。